松方弘樹さん74歳で死去10万人に1人の難病脳リンパ腫と闘病 代表作多数の偉大な俳優がまた一人・・

   

こんにちは!いただきです!

 

冬というのは、実は季節柄訃報が増えてしまう季節ではあるのですが、また非常に残念なニュースが飛び込んできてしまいました……。

 

昭和平成を代表する俳優の一人、松方弘樹が脳リンパ腫で2017年1月21日にお亡くなりになっていたことがわかりました。74歳でした。

 

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松方弘樹さん74歳死去 10万人に一人の難病脳リンパ腫で昨年3月から入院中だった

 

またしても非常に衝撃的なニュースとなってしまいました……。

 

昨年2月から入院していた俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため都内の病院で亡くなった。74歳だった。 

松方さんは昨年3月に悪性の脳リンパ腫を公表し、長期療養に入っていた。

脳リンパ腫は、中枢神経系にできる悪性のリンパ腫で、血液細胞の1つのリンパ球が腫瘍化したもの。悪性リンパ腫の中でも発症率が低く、10万人に1人のまれな病気とされる。発症は60歳前後の高齢者がもっとも多いという。松方さんは手術を受けず、投薬治療の方針を明かしていた。

引用:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170123-01769186-nksports-ent

 

 

松方 弘樹(まつかた ひろき)





本名 目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)

生年月日 1942年7月23日(享年74)

出身 東京都北区

身長 173cm

血液型 A型

利き手 左

所属事務所 株式会社MARE(個人事務所)


代表作品

映画
『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』
『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』
『仁義なき戦いシリーズ』
『脱獄広島殺人囚』 / 『暴動・島根刑務所』
『県警対組織暴力』 / 『強盗放火殺人囚』
『実録外伝 大阪電撃作戦』
『沖縄やくざ戦争』
『広島仁義 人質奪回作戦』
『日本の首領シリーズ』
『北陸代理戦争』 / 『ドーベルマン刑事』
『柳生一族の陰謀』 / 『真田幸村の謀略』
『徳川一族の崩壊』 / 『修羅の群れ』
『最後の博徒』 / 『藏』
『新 影の軍団シリーズ』
『猿飛佐助 闇の軍団シリーズ』
『十三人の刺客』
『柳生十兵衛〜世直し旅〜』
『太秦ライムライト』

テレビドラマ
『人形佐七捕物帳 (1965年)』
『徳川三国志』/ 『勝海舟』
『人形佐七捕物帳 (1977年)』
『大江戸捜査網』 / 『名奉行 遠山の金さん』
『徳川家康』 / 『刑事貴族』 / 『HOTEL』
『家康が最も恐れた男 真田幸村』
『赤穂浪士』 / 『天地人』

 

 

松方弘樹さんは、昨年2月に体調不良を訴え入院をしていました。

 

そして、2月23日に脳腫瘍の可能性があると発表。

 

長期の療養が必要であるため、翌3月移行のコンサートや舞台をすべて降板し、闘病生活に入っていました。

 

病名も「脳リンパ腫」と発表して、治療に取り組んでいましたが、残念ながら発表からおよそ11ヶ月後の今年1月21日にお亡くなりになってしまいました。

 

 

「脳リンパ腫」とはどんな病気?

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基本的には、脳にできる癌というカテゴリーになります。

 

そもそも脳にはリンパ系組織がないのですが、なぜかまれに脳にも悪性のリンパ腫が発生することがあります。(根本的な原因はわかっていない)

 

それが今回松方弘樹さんの死因にもなった、脳リンパ腫です。

 

 

発症自体が10万人に一人程度と非常に珍しく、しかも60~80歳という高齢者に多くなっています。

 

切除などで根治することはできず、投薬と放射線などで治療をしますが、高齢者の発症が多いこともあり、生存率は実際の所高いとは言えません。

 

ある意味、この病気になった時点で、ほぼ脳の寿命なようなものが目に見える状態になりつつあると言えるのかもしれない、などと私は思ってしまいます。

 

 

脳のどの部分にリンパ腫が発生するかで症状は変わりますが、基本的にリンパ腫に犯された部分の脳の機能が徐々に低下していきますので、いわゆるボケのような症状が急速に進行していくことになります。

 

松方弘樹さんの場合などでもそうでしたが、投薬や放射線などの治療により延命はされるものの、副作用(今回は脳梗塞が3回)が起こってしまうと、それにともない症状が悪化する場合もあります。

 

 

別の年始にされた報道によると、秋ごろからはすでに体の自由が効かなくなり車椅子での移動になっており、年末年始には意識も混濁することが多く、言葉もほとんど話せなくなっていたそうです。

 

これも治療と病状の進行による、脳機能の低下によるものだったのでしょう。

 

そして、そのまま病状が進み、生命を維持する機能自体が一定のラインを下回ると、生命活動が停止することになります。

 

 

芸能関係者などからのお悔やみツイート等のコメント

 

 

 

 

 

 

 

 

代表作多数 戦後の時代を築き上げた大物俳優松方弘樹

 

父親が俳優であったことから、幼少時代より芸能の道を志し、最初は歌手を目指していたそうですが、席を並べて学んでいた五木ひろしの歌唱力にショックを受け歌手の道を諦め、俳優の道に入ります。

 

そして17歳で銀幕での主演デビューを果たし、それ以降、同学年の北大路欣也などとライバル関係として切磋琢磨し、昭和から平成の映画界芸能界を大いに盛り立てる、大俳優の一人となりました。

 

 

一方で、バラエティー番組などにも出演し、特にバラエティ番組の代表作とも言える「天才たけしの元気が出るテレビ」で人気がさらにブレイク。

 

 

さらに、趣味のトローリングでのマグロの一本釣りも有名で、盟友の梅宮辰夫さんとのコンビでテレビ番組が制作されたことも。

 

釣り大会にも実行委員を務めるなど積極的に参加し、2008年には大会で305kg(195万円)、2009年には更にそれを上回る325kg(437万円)のマグロを釣り上げ、そのマグロを食べるために買い上げたすしざんまいにファンの行列ができるなど、大きな話題を振りまきました。

 

 

テレビに映画に舞台に、八面六臂の大活躍を見せた松方弘樹さん、74歳というと、最近の高齢化社会では少しお早い年齢だなと感じてしまい、とても残念ですが、多くの番組で楽しませてくれた思い出は忘れません。

 

ありがとうございました。

 


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