【金屏風事件とメリー喜多川】中森明菜と近藤真彦あの会見の真相まとめ【マッチと明菜】

      2017/02/20

今日もおいしくいただいてます!

こんにちは!いただきです!

 

 

1989年12月31日という年の瀬に

不可解なひとつの会見がありました。

 

あの頃は今と違ってインターネット

もなく、ある意味情報も偏っていた

といえると思います。

 

しかし、見るもの誰もが違和感を

感じていたあの金屏風。

 

果たして本当は何があったのか。

 

この情報化社会になった今だからこそ

振り返えってみんなで情報共有してみる

必要があるのではないでしょうか?

 

ということで、新たな情報を少し加え

あの事件の流れをまとめてみました。

 


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当時のマッチと明菜、時系列に考える中森明菜のデビューからその時まで

 

あの会見が行われたのは

1989年12月31日でした。

 

この事件、もう26年も前の

事件なんですよね…。

 

 

しかしあの事件は、未だ中森明菜の

芸能生活に影を落としていることは

間違いなく、紅白に復帰できたのが

やっと2014年の出来事でした。

 

 

片や近藤真彦、この事件以降も

メリー喜多川との蜜月は続き、

ついに先月2015年の紅白の

大トリにまでつながっています。

 

 

この二人が交錯した大きな節目と

言えるあの異様な金屏風の前での

記者会見とは一体どのような経緯

で行われたものなのでしょうか?

 

 

まず分かりやすくするために、

中森明菜のデビューから

時系列で考えてみます。

 

 

1981年 16歳で「スター誕生」に合格
1982年 デビュー
2枚目のシングル少女Aが5位のヒットですでにブレイク
3枚目のセカンド・ラブで1位
アイドルとして怒涛の快進撃が始まる
1985年 映画「愛・旅立ち」でマッチとダブル主演
ミ・アモーレでレコード大賞
1986年 DESIREで2年連続レコード大賞
1987年 アーティスト・オブ・ザ・イヤー受賞
1988年 この年も次々と記録を更新
1989年 7月11日 近藤真彦の自宅マンションで自殺未遂
ここから芸能活動を1年間休止
12月28日 所属事務所の研音から独立
12月31日 金屏風の前で近藤真彦同席の謝罪会見
1990年 7月 復帰

 

 

当時、中森明菜の人気は圧倒的でした。

 

音楽でも、ドラマでも、映画でも、

ファッションでも、あらゆる面で

活躍しており、すでにアイドルの

枠を超える存在になりつつあった

と言えるかと思います。

 

 

そこに突然起こった自殺未遂騒動

 

しかも、近藤真彦の自宅マンション

の浴室で、肘のあたりを深さ2cm

幅8cmというかなりの傷。

 

腕がもう動かないのではないか

と言われるほどのものでした。

 

 

本人不在の時に自殺を図り、第一発見者

が近藤真彦であったことから、かねて

より噂のあった二人がそのような仲で

あったことは確実なものとなってしまい

もうごまかせないものとなりました。

 

 

この自殺の原因、89年2月に近藤真彦と

松田聖子のキスがフライデーに載った

ことがきっかけと見られています。

 

もちろん自殺に至るくらいですから

単純にそれだけではないでしょうが

事の根幹はいわゆる痴情のもつれ的な

要素と考えて差し支え無いかと思います。

 

(他にも明菜の金をマッチが8000万円

使い込んだとかかなりぞんざいな扱いを

されていたようなことも色々言われてます)

 

 

明菜本人は家族の問題だったと後に

週刊誌に告白していますが、この状況で

そんなの信じる人いないでしょ…。

 

 

この辺までが当時わかっていたことです。

 

 

今だからわかるメリー喜多川とマッチと明菜の衝撃の関係


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状況的には、1985年頃から

関係が始まりだしたと思われる二人。

 

明菜側はかなり本気だったように伺えます。

 

 

そして、途中からマッチの

周りに現れる松田聖子。

 

中森明菜も、松田聖子も

この時代を代表する

トップアイドルの二人です。

 

 

近藤真彦は

どちらが本命だったのでしょうか?

 

 

このことは、今現在から見ればいくつか

の情報から推測することができます。

 

 

まず一つが

「ジャニーズのすべて 少年愛の館」

という本の中での、平本淳也による

暴露です。

 

これによると、マッチは明菜に出会う

数年前には、すでにジャニーズ社長の

ジャニー喜多川に相当気に入られていた

そうで、なんともうすでにジャニーズ

事務所の後継者レベルの話しも

出ていたとか…。

 

 

ジャニー喜多川はマジで半端ない

ガチのあっちの人で有名です。

 

他の告白本によると、マッチの先輩の

豊川誕は、デビュー前にジャニーと

一週間ベッドをともにして、破格の

デビューを飾るに至ったそうです。

 

 

しかし、そんな若くてかわいい

近藤真彦を、ジャニーの毒牙から

救った人、その人こそジャニーの

姉のメリー喜多川なのです。

 

メリー喜多川は、ジャニーの毒牙から

マッチを守るために、自分がマッチを

「手籠め」にしました。(オイ)

 

 

のちに、メリー喜多川の自宅マンション

から、近藤真彦が裸で出てくるところを

別のジュニアが目撃したという話があります。

 

これが本当なら、二人は肉体関係だった

ということでしょう。

 

 

もちろん、噂や報道は当然うのみに

するべきではありません。

 

 

しかし、マッチが当時から受けていた

破格の好待遇や暴露などを踏まえ

 

あくまで総合的に考えれば

メリー&ジャニー&マッチがその手の

関係だったことはほぼ間違いないの

ではないかと考えざるを得ません。

 

 

それらのことから今、当時を振り返って

このように考えるとかなり腑に落ちて

しまいます。

 

近藤真彦は、元々メリーとジャニーの

妾なのであり、中森明菜も松田聖子も

遊びだったのだ、と。

 

 

メリー喜多川とジャニーズの不合理な理屈から描かれた青写真


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スーパーアイドル近藤真彦にとって

多少のフライデーはそれほど気に

ならなかったでしょう。

 

ジャニーズがいくらでももみ消せますし

明菜や聖子との浮名なら箔が付く

という程度のものです。

 

 

しかし、中森明菜の行動は致命的でした。

 

自宅で自殺未遂

しかも近藤真彦本人が発見と通報。

 

これはどうにもごまかせません。

 

 

あくまで浮名は匂わす程度で

なければいけないのですから、自宅で

自殺未遂をされ、しかもその第一発見者

などとは、あってはならないことです。

 

特に、メリー喜多川の中のアイドルの

美学においても、あり得ないこと

だったのではないでしょうか。

 

 

この後メリー喜多川が明らかに明菜を

追い込んでいますが、きっとこの辺に

問題があったのだと思います。

 

もう芸能界から消そうと、そのくらいの

感情でいたのではないでしょうか。

 

 

そして、メリー喜多川はこれを契機に

明菜を追い込み始めます。

 

 

この時点では明菜から見たメリーは

自分の愛して信じるマッチの母親

代わりのような存在です。

 

その立場からメリーは、明菜に

対してあることないこと吹き込み

当時所属していた事務所の研音との

離間工作を進めたと言われています

 

 

その結果見事12月28日付で明菜は独立

 

そして、12月31日に金屏風の前での

会見に望んでいます。

 

 

なんとまあハードな内容です。

 

 

研音から独立させる必要があったのは

ジャニーズが研音との軋轢を

嫌ったからでしょう。

 

後ろ盾を失えば、世間知らずの

若い女の子を意のままにするなぞ

メリーにとっては赤子の手を

ひねるようなものです。

 

 

しかも、この12月31日という

日付がもうあまりにも不自然です。

 

 

まず、明菜側から見た時に

この日にする理由は全くありません。

 

むしろ、しない理由のほうが

沢山あります。

 

 

例えば、この会見の時間、裏でまさに

紅白がリアルタイムで放送されています。

 

この年の紅白、明菜は騒動からの

復活の舞台として出演をオファーされ

それを体調不良で断っています。

 

その断った紅白の裏で、さらに紅白に

ダメージを与えるような時間の会見。

 

中森明菜がこんな不義理をする必要が

全くありません。

 

それどころか一番避けたい日付とも

言えるくらいでしょう。

 

しかも、現実に復帰したのはさらに

半年後ですから、こんな変な時期

無理なタイミングでする必要性が

全く無いのです。

 

 

しかし、近藤真彦側には

この日にする必要がありました

 

近藤真彦は、翌年が芸能生活10周年

という記念すべき年でした。

 

単純に、記念すべき年になる翌年に

この騒動を引っ張りたくなかった。

 

この年のうちに決着を付けたかった。

 

 

そして、その理屈を通そうとすれば

明菜を研音から独立させた28日から

その年の内にというと、たったの4日

というごく短い猶予しかないわけです。

 

 

このなんとも自己都合の理由が

12月28日明菜の独立から31日会見

という無茶な一連のプロセスの

根底にあるわけです。

 

 

そして、その青写真を書いたのは

当然メリー喜多川でした。

 

 

 

金屏風での会見という最悪の罠


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この紅白の裏という無茶なスケジュール

そこに明菜を呼び出すためにメリー喜多川

が使った方便というのが、なんと

 

「マッチとの結婚会見」

という最悪のものだったと言われています。

 

 

呼びだされた会場で、結婚会見のための

金屏風と思いきや、実はそれが謝罪会見

だったとしたら、どれほどの絶望感を

感じることでしょうか。

 

 

そして、その謝罪会見中に、記者の質問に

対してマッチはこう言い放ちました。

 

 

男性記者

「結婚しようとか、婚約しようとか

いう話はどうなってるんですかぁ」

 

マッチ「そういうことは全く無いんですが

(キッパリ即答)

 

 

とどめです。

完全に仕留めに行ってますね…。

 

 

この会見中、一連のマッチの発言は

本当に酷くて、まあシナリオが

あったのだろうとは思いますが、

自分のことばっかりしゃべっていて、

二人の関係については終わりです

という感じのものでした。

 

聞いている側としては

非常に気分が悪いとしか言い様がない。

 

 

ジャニーズサイドとしては

この会見できっぱり終わりにして

来年からはスッキリしたい

というものだったのでしょうから

あのような語り口だったのでしょう。

 

 

SMAP騒動などでもメリー喜多川の闇が徐々に明かされていっている

 

メリー喜多川と

その情夫である近藤真彦。

 

その位置関係から考えると

やっとこの金屏風会見に

納得することができました。

 

 

そして、この後もこの二人の関係は

続いいており、昨年末はついに紅白

の大トリを近藤真彦が務めるまでに

至り、今もなお続いているのです。

 

 

そして、その犠牲になった中森明菜。

 

一昨年の2014年の紅白復帰では

話題になりました。

 

 

しかし、あの金屏風騒動以降

うつ病等にも苦しめられていると

いいますし、芸能活動も私生活も

とても幸せそうには見えません。

 

結局紅白後も

活動は安定していないようです。

 

 

そりゃね、普通の人間なら

こんなのどうにかなっちゃいますって…。

 

 

SMAP騒動を契機に、メリー喜多川の

独裁振りが段々と世に知れ渡るところ

となっています。

 

その横暴ぶりに驚かされながらも

それを知ることのできるようになった

現在は、昔よりは情報が正常化して

いるとは言えるのでしょう。

 

金屏風事件も含め、情報化社会により

過去の傍若無人も少しずつ明るみに

なっていくのかもしれません。

 

 

それにより、これからは少しでも

メリー喜多川による悲劇の減ることを

 

そして、中森明菜に少しでも明るい

未来が訪れることを期待したいです。

 

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