赤西仁というジャニーズの終焉を告げるために訪れた福音

   

元KAT-TUNで現在ソロとして

舞台を世界に移している赤西仁。

 

赤西仁がジャニーズでやったことって

SMAPの騒動と比較して考えてみると

とんでもないことだったんだなという

ことが改めてわかります。

 

それはもう、ジャニーズに新しい時代を

もたらすはじまりだったのではないかと

思うほどに。

 

どのくらいすごかったのか?

 

そのちょっと凄すぎる一連の経歴を

知らない人でも分かりやすいように

まとめてみました。

 

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ジャニーズデビュー

 

赤西仁

1984年7月4日生まれの現在32歳です。

 

 

1998年、ジャニーズの

オーディションを受けるも不合格。

 

しかし、偶然にも名札を返した相手

その人こそジャニーズの社長

ジャニー喜多川でした。

 

その名札のNo1を見たジャニー喜多川の

「YOUも残っちゃいなよ」

の一言でジャニーズに合格します。

 

 

そこからジャニー喜多川のお気に入り

として、ジャニーズ内では活動して

いくことになります。

 

これ、実際は名札がNo1がどうこうは

関係なくて、絶対ジャニーが見た目で

気に入っただけですよね(笑)

 

 

なかなか劇的なジャニーズ入りですが

この時点で14歳の中学生です。

 

 

KAT-TUN結成からメジャーデビューへ

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2000年からジャニーズJr.として

活動を始め、2001年に堂本剛の

バックダンサーとしてジャニー喜多川

の鶴の一声でKAT-TUNが結成される。

 

なお、堂本剛はジャニー喜多川の

最高のお気に入りの1人です。

 

 

2001年3月30日放送の

ミュージックステーションSPで

TV初登場。

 

 

2002年からコンサートやイベントなどを

精力的にこなし、2005年のドラマ

「ごくせん」への出演で一気に知名度を

上げます。

 

 

そしてKAT-TUNメンバーとして

2006年3月22日『Real Face』で

CDデビュー。

 

満を持してのメジャーデビューとなります。

 

 

ここまでジャニーズ入りから8年

KAT-TUN結成から5年という

時間が経過した21歳の時です。

 

 

ここから普通では考えられない語学留学と芸能活動無期限休業へ

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CDデビューまでは特に当り障りのない

ジャニーズでのアイドルとしての

サクセスロードに見えました。

 

 

しかし、ここで突然普通では

考えられない発表があります。

 

CDデビューの少し後、10月12日を

持って語学留学のために芸能活動を

無期限休業するというのです。

 

 

これはジャニーズでは普通

考えられないことです。

 

 

そして、翌年2007年4月19日に

ロサンゼルスから帰国、翌20日の

帰国記者会見で芸能活動復帰を

発表しました。

 

 

CDデビューから半年で語学留学。

 

さらにその半年後に帰国して

芸能界復帰。

 

この動きはかなり異例のものです。

 

 

KAT-TUN脱退へ

 

2007年の帰国後はタレントとして

ドラマや映画に出演、KAT-TUNと

しても活動を行っていましたが

2010年に大きな変化が起こります。

 

 

2010年1月に公開された初主演映画

『BANDAGE バンデイジ』の劇場公開

に先駆け、劇中バンドであるLANDS

ボーカリストとして発売したシングル

 

『BANDAGE』とアルバム『Olympos』

がそれぞれオリコンチャート初登場1位

を記録

 

 

さらに2月にソロライブ

「Star Live 友&仁(You&Jin)」を公演。

 

徐々にKAT-TUNよりも単独での活動が

中心的になっていることは明らかでした。

 

 

そして6月にロサンゼルスで

「Star Live 友&仁(You&Jin)」ライブを

行い、そのままアメリカに10月まで滞在。

 

 

この間、KAT-TUNのライブツアーには

不参加。

 

そして、その後のKAT-TUNとしての

活動予定も未定のままとなっていました。

 

 

当初、ジャニーズ事務所はその時点での

脱退や解散は否定していましたが

この一連のソロ活動中の7月16日

 

KAT-TUNの東京ドームでのライブ開始前

にジャニー喜多川から、正式に赤西が

KAT-TUNを脱退する方針が発表されました。

 

 

脱退の理由に関しては

「方向性の違い」と発表されています。

 

 

そして8月31日に、KAT-TUN公式サイトの

プロフィールから赤西の名前が消え

赤西単体の公式サイトが開設されたことで

実質的な脱退ということとなりました。

 

 

この脱退の経緯も

異例と言っていいかと思います。

 

 

そして、そのまま活動拠点を

海外に移します。

 

語学留学から復帰後、わずか3年での

脱退となってしまいました。

 

 

本格的ソロ活動スタートと黒木メイサとの結婚

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ソロ活動になったものの

ジャニーズとの契約はそのまま継続。

 

 

2010年11月、全米5大都市ツアー

『Yellow Gold Tour 3010』をスタート。

(こちらコンサートの冒頭のメッセージを

先日記事にさせてもらいました)

 

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その後もソロデビューシングル

「Eternal」がオリコン一位。

 

キアヌ・リーブス主演映画

『47RONIN』にてハリウッドデビュー。

 

全米デビューシングル

「TEST DRIVE featuring JASON DERULO」

がiTunes Storeダンスチャート1位を

獲得など、国内に留まらない活躍で

快進撃を続けます。

 

 

しかし、ここでまた転機が。

 

2012年2月2日、赤西仁は

女優の黒木メイサと結婚をします。

 

しかも、ジャニーズ事務所に内緒で…。

 

 

事後報告として事務所に結婚を報告した

ことにより、この後1年5ヶ月の謹慎を

受けることになります。

 

決まっていた主演ドラマもツアーも

キャンセルとなりました。

 

 

2012年9月23日には第一子の女の子が

生まれるなど、ソロ活動開始から

わずか2年の間も劇的な状況が続き

謹慎生活と結婚子育て生活に入ります。

 

 

ジャニーズと契約解除へ

 

謹慎が明け、2013年6月23日

新曲「HEY WHAT'S UP?」で

活動再開するも、その約半年後の

 

2014年2月28日、契約満了をもって

ジャニーズ事務所を退社することが決定

翌3月1日にそのことが発表されます。

 

 

退社の理由などは公表されていませんが

活動の方向性の不一致と報道されています。

 

 

ジャニーズ事務所からの発表の翌日2日

本人のTwitterとfacebookにて海外活動

に注力するという報告がされます。

 

 

実際にその後は海外活動を中心に活動を

続け、日本では他の芸能人に比べれば

扱いは小さいものの、しっかりと評価を

集めており、2015年には、中国の北京市

で開催された『愛奇芸尖叫之夜』で

 

「アジア人気アーティスト賞」と

「年度音楽大賞」の2つの賞を日本人として

初めて受賞するなど、活躍を続けている。

 

 

2015年12月に米国の映画情報サイト

「TC Candler」にて、毎年恒例の

「世界で最もハンサムな顔100人」

ランキングが発表されたが

 

赤西仁はなんと世界34位!

日本人では最高順位!

 

更に翌年も連続受賞の上に

自己最高記録を更新して31位!

 

 

ということで、日本で一番イケメンの

称号も手に入れたようです。

 

色々な評価が着実に広まってますね。

 

 

赤西仁という特別な存在とそこから訪れる日本のアーティストの未来

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彼の経緯を見ているとジャニーズの

異常性と、ジャニー喜多川から特別

扱いされたことの特殊性、そして

本来あるべきアーティストの形

見ることができると思います。

 

 

ジャニーズの異常性

 

最初は、錦戸亮に憧れた赤西仁が

ジャニーズのオーディションを受ける

ところから始まりますが、そのことに

より、この異常な芸能界という世界に

入ってしまいます。

 

 

ジャニーズ事務所のやっていることは

年端もいかない夢見る子供に行っている

言うなれば洗脳的な教育システムです。

 

右も左も分からない子供に、圧倒的な

価値観を刷り込み、思想も行動も

生活も、全てを縛ってしまいます。

 

 

そして、その少年たちを、商品として

巨大な金を生み出します。

 

時には自分たちの慰みものにすることも…。

 

 

これが、これまでずっと

ジャニーズのやっていることです。

 

 

もちろん本人がアイドルや芸能人に

憧れていたことから始まりっている

わけですが、一度ジャニーズに選ばれ

 

そのシステムに組み込まれると

精神的にも肉体的にも、その選択の

自由はほとんど失われてしまうように

見えます。

 

 

しかし、そのような時代は変わりつつ

あることをこの赤西仁の経歴が

証明しているのかもしれません。

 

 

ジャニー喜多川から特別扱いされたことの特殊性

 

経歴から見ると、2001年のジャニーズJr.

から2006年のKAT-TUNメジャーデビュー

までは、従来のジャニーズのアイドル

として、いつもの奴隷的なパターンとして

活動していたと思います。

 

 

しかし、一転2010年10月の語学留学

これが赤西仁の普通と違うところです。

 

普通はジャニーズの洗脳により

アイドル以外の行動をする思考は

なかなか持ちにくいものだと思います。

 

選択肢がないことが当たり前の常識という

世界で生きていて、それに気がつくのは

普通では相当に難しいのです。

 

 

たぶん、このとき彼の中の何かが

その壁を超えさせたのだと思います。

 

私はこれは赤西仁がアーティストとして

真摯に音楽に向き合っていたからこそ

できたのではないかと推測しています。

 

 

気がついて、そこに信念があったとしても

それでもなかなか好きなようにはできない

のが実際だとは思いますが

 

そこはジャニーズの社長であり別格の

権力を持つジャニーのお気に入りです。

 

なんと語学留学が許されました。

 

これはラッキーだったと思います。

 

 

本来あるべきアーティストの形

 

芸能界の先進国である米国に渡り

更に知識と認識を深めたことでしょう。

 

 

これにより、帰国後もアイドル活動には

迎合すること無く、アーティストとして

の活動を推進できたのだと思います。

 

 

でも、これって普通に考えたら

日本の芸能界側がおかしいんですよね。

 

アーティストとして、自分の中の創造性を

元に創作活動をするなんて、そんなの

どう考えてもそっちが当たり前のことです。

 

その当たり前のことが当たり前じゃない

世界、そしてその特殊な異世界を突破した

赤西仁。

 

彼はそれが可能であることを証明しました。

 

(同じKAT-TUNの中に、同じくその壁を

ぶち壊した田中聖というすごい男も

いましたが、それはまた別に

とりあげて見たいと思います(笑))

 

 

人権までをも支配する日本の芸能事務所の大きな問題点

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2010年にはKAT-TUNとしての活動

にも折り合いがつかなくなり

ソロ活動をすることになります。

 

この時ジャニーズに所属したまま

ソロ活動をすることができたのは

これもジャニー喜多川のお気に入り

だったというラッキーによって

可能だったものだと思います。

 

 

しかし2012年の黒木メイサとの結婚の

件で、1年半にも及ぶ謹慎を受けます。

 

この謹慎というのがまた

前時代的な行為です。

 

 

確かに結婚の事後承諾というのは不義理な

部分もあるでしょうが、謹慎という処罰に

したことは事務所が所属タレントの

「人権」を支配しているということの

証明でもあります。

 

これではアーティストではありません

ただの奴隷です。

 

普通に考えればそういうことになります。

 

 

この問題は、SMAP解散騒動とも

リンクしているでしょう。

 

あの騒動を見ても、まともに個人個人の

権利が守られているようには見えません。

 

 

そして、結果2014年にジャニーズを

退社しますが、このことも普通の

日本人アーティストにはできません。

 

なぜなら、芸能界の横のつながりで

大手芸能事務所を円満に退社できな

かった者には、もう日本でまともな

仕事はもらえなくなってしまう

 

つまり干されてしまうからです。

 

 

しかし、赤西仁には、もし日本が

ダメでも、すでに世界という

ステージが目の前にありました。

 

このことで、日本の芸能界の鎖から

解き放たれることが可能となりました。

(まあ、これにもジャニーさんの

応援はある程度あるでしょうが)

 

 

ここでまた異常だと思わないといけない

のは、このくらい特殊な世界への窓口を

持っている人間以外は、日本の芸能界の

束縛から抜けることは難しいという

事実なんです。

 

 

しかし、赤西仁はそれをやってのけた。

 

ジャニーさんのお気に入りだったり

したラッキーは確かにあったでしょう。

 

しかし、それよりも大きな要因は

世界を知っていたことだと思います。

 

 

古いジャニーズや芸能界を変える起爆剤になる赤西仁という可能性

 

今回のSMAP解散騒動でもわかるように

日本の芸能界の構造は時代遅れも

いいところです。

 

もう異常としか言い様がないレベルです。

 

 

しかし、昔はトシちゃんが干された件

マッチと中森明菜の不可解な金屏風謝罪

会見など、我々はほとんど情報を知る

ことはできませんでした。

 

でも、それが今は段々知ることが

できるようになっています。

 

情報化社会の恩恵の一端ですね。

 

 

それは一般人だけでなく

アイドル本人達も同じだと思います。

 

知ることで、ただの商品として奴隷の

ように取り扱われることから、本当の

アーティストとして活動できるように

なっていくはずです。

 

その情報と行動の突破口のひとつに

なるのが、赤西仁なのではないかと

思います。

 

それだけの価値が

今の彼の結果にはあると思います。

 

 

今後も活躍を期待しつつ、さらに

今以上に日本の芸能界を変える起爆剤

になってくれることを願っています。

 

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