岩村明憲引退の理由と今後の活動は?通算成績や生涯年収がすごいと話題に

   

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元ヤクルトスワローズで、メジャーでも活躍した、日本の野球史に間違いなく名前を残したであろうと名選手、岩村明憲選手がついに引退を発表しました。

 

2009年に怪我をして以降、どうしても成績に目立ったところがなかったため、少し記憶から薄れつつはあったものの、振り返ってみるとその成績はやはりすごいものがあり、メジャーを含めた生涯年収はとんでもない数字を叩き出していました。

 


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ミスタースワローズ1番を背負った男、岩村明憲38歳 引退へ

 

学生時代からメジャー入りまでの活躍

 

1979年生まれの岩村明憲は、学生時代からその能力を開花させ、全日本高校選抜の4番を努めるるなど活躍。

 

大学には行かず、ドラフト2位で1997年にヤクルト入りすると、プロでも徐々に頭角を表し、2000年からは1軍レギュラーに固定し、130試合に出場、好成績を残し、ゴールデングラブ賞を受賞。

 

2001年に背番号を48番から1番に変更し、その期待に負けない活躍を見せ、オールスターゲーム出場を果たし、リーグ優勝にも貢献。日本シリーズでは最優秀選手に選ばれる。

 

2002年以降は、右手首を故障した2003年(60試合出場)を除けば、2006年まではほぼ全試合に出場。様々な記録を樹立する。

 

特に2004年から2006年までの3年間は、3割30本を連続で記録するなど、名実ともに日本を代表するバッターになった岩村明憲は、メジャーへ移籍する。

 

 

メジャーでの活躍と怪我からの不振、そして引退へ

 

2007年からは満を持してのメジャーに挑戦となり、3年総額770万ドルでタンパベイ・デビルレイズと契約。

 

守備位置がなかなか定まらなかったり、開幕直後に右脇腹を炒めDL入りするなどトラブルもあるものの、1番打者として安定した成績を記録し、大きくチームに貢献。

 

メジャーで求められる仕事から、日本でのホームランバッターのイメージとは全く変わり、ホームランこそ07年に7本、08年に6本となったものの、出場試合、打率、そして守備などでもしっかりと成績を刻み、2008年にはシーズン172本安打を放ち、デビルレイズの球団史上初となるワールドシリーズ出場に大きく貢献し、その打者としての能力をしっかりと証明した。

 

2009年にはWBCの日本代表に2大会連続で選ばれると、チームトップの得点を記録して日本の大会2連覇にも大きく貢献。

 

その勢いのまま、メジャーのシーズンをスタートし、過去2年を上回る成績を叩き出す中で、ランナーの激しいスライディングとの接触により、足首靭帯の損傷のトラブルに見舞われる。

 

全治1年の怪我と診断されるものの、なんと3ヶ月後のシーズン中に復帰を果たし、シーズン終了までにホームランを打つなど、驚異的な回復を見せ、シーズンを終える。

 

 

しかし、振り返ってみると、この怪我が岩村明憲の大きな転機となってしまう。

 

2009年シーズンの怪我から復帰した直後に、パイレーツへ移籍。

 

しかし、2010年シーズンは開幕から打撃不振のままマイナー落ちし、シーズンを終了。マイナーではそれなりの成績を上げるものの、マイナーのシーズン終了直後の9月に解雇となる。

 

そのまま補強を急いでいたアスレチックスと契約するものの、10試合出場で結果を残せず一ヶ月ほどした10月に解雇となり、更に翌11月に楽天との年俸1億5千万円での契約を発表。

 

2011年、楽天でも期待に答える成績は出せず、2012年は開幕二軍スタートとなるなどやはり活躍はできず、シーズン終了後に戦力外通告。

 

2013年シーズンからは古巣のヤクルトと契約するも、やはり2014年までの2年間で思ったような活躍はできず、シーズン終了で戦力外通告となる。

 

2015、2016年は独立リーグの福島ホープスで選手権監督として現役を続けながら、NPBへの復帰なども考えていたが、結局この年で現役は最後となり、2017年4月10日に引退発表をすることになった。

 

 

引退の理由は?

 

4月10日に行われた引退会見の中で、岩村明憲選手は引退の理由としてこのように語りました。

 

「今BCリーグに在籍していますが、プロ野球から離れて3年目。自分の中で引き際をどう決めたらいいかという思いは1年目からありました。ただ体が動くうちは野球をしたかった。若い選手とともにここまでやってきました。BCリーグにはいろいろなルールがあります。監督という立場で選手を育てていく中で、自分の名前が選手の足かせになっているところもあった。トータル的に考えて、今年いっぱいで引退した方がいいのかなと、自分の中で結論を出しました」

 

年齢としても38歳です。

 

最近は、イチローや山本昌、工藤公康などの普通じゃない年齢まで活躍してしまうモンスタークラスの選手がいるせいで、なんとなく38歳が若く感じてしまう部分もありますが、アスリートとしては引退はまったく不思議ではない年齢と言えますね。

 

過去の怪我に関わるものなどというわけでもなく、特に違和感のない引退と言えるかと思います。

 

 

通算成績がすごい!


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岩村明憲は、1998年のレギュラー昇格から怪我以前の2008年までの期間と、怪我をしてしまった2009年から引退までの2016年までの期間で、成績がまったく別れてしまいますが、それでも主に2008年までの数々の記録は、球界に燦然と輝く記録と言えると思います。

 

日本球界とメジャーで、通算これだけの表彰や記録を残しています。

 

表彰

NPB

ベストナイン:2回 (三塁手部門:2002年、2006年)
ゴールデングラブ賞:6回 (三塁手部門:2000年 - 2002年、2004年 - 2006年)
月間MVP:1回 (2004年8月)
優秀JCB・MEP賞:4回 (2000年、2002年、2004年、2006年)
日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2001年)
オールスターゲーム優秀選手賞:1回 (2006年第1戦)

記録

NPB初記録

初出場・初先発出場:1998年5月19日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、7番・三塁手で先発出場
初打席:同上、2回表に三浦大輔の前に三振
初安打:1999年4月3日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、7回表に伊藤智仁の代打で出場、斎藤隆から二塁内野安打
初盗塁:同上、7回表に二盗(投手:斎藤隆、捕手:谷繁元信)
初打点:1999年5月15日、対広島東洋カープ5回戦(長崎ビッグNスタジアム)、4回裏に黒田博樹から右翼線へ2点適時二塁打
初本塁打:1999年5月22日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤドーム)、4回表に武田一浩から右越同点ソロ

NPB節目の記録

100本塁打:2004年6月17日、対阪神タイガース13回戦(大阪ドーム)、1回表に藪恵壹から右越先制決勝2ラン ※史上235人目
150本塁打:2005年8月31日、対読売ジャイアンツ16回戦(大阪ドーム)、5回表にバート・ミアディッチから右中間へソロ ※史上138人目
1000本安打:2006年7月17日、対広島東洋カープ10回戦(明治神宮野球場)、7回裏に佐竹健太から右前安打 ※史上242人目
1000試合出場:2011年5月10日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7番・三塁手で先発出場 ※史上441人目

その他の記録

オールスターゲーム出場:4回 (2001年、2004年 - 2006年)
シーズン173三振(2004年) ※セ・リーグ記録
1試合4打席連続二塁打:2014年6月14日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム) ※日本プロ野球タイ記録で史上7人目(1試合4二塁打の記録は同様に日本プロ野球タイ記録で史上11人目)

引用:wiki

 

記録だけではなく、記憶にも残る活躍を見せており、2006年と2009年のワールド・ベースボール・クラシックでの日本の金メダル連覇に大きく貢献。

 

ヤクルトでもチームを日本シリーズに導き、メジャーでもデビルレイズの球団史上初となるワールドシリーズ出場に中心選手として大きく貢献しました。

 

 

野球以外でも、テレビ番組のスポーツマンNo.1選手権の常連としても大活躍。

  • 第6回大会 2000年1月1日 3位
  • 第7回大会 2001年1月1日 5位
  • 第8回大会 2002年1月1日 5位

こちらでも、大会の主軸としての活躍をしていました。こちらの活躍で岩村明憲の名前を覚えた人も多かったと思います。

 

 

生涯年収がすごい!


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メジャーでワールドシリーズまで出場した選手ですから、成績や記録も当然すごいものですが、それと同時にネットなどで話題になっていたのは生涯収入、生涯年収の金額ですね。

 

いやらしい話ですが、やはりとても気になりました(笑)

 

 

今回、1ドル110円換算で計算し、まとめてみたのが以下の表になります。

 

岩村明憲生涯年俸 (1ドル110円換算で計算)
1996年 ドラフト2位 契約金7500万円
1997年 600万円
1998年 600万円
1999年 700万円
2000年 2100万円
2001年 5000万円
2002年 8500万円
2003年 1億3000万円
2004年 1億1000万円
2005年 1億7400万円
2006年 2億1600万円
4億8950万円 レイズ契約金445万ドル
2007年 1億9800万円 180万ドル
2008年 2億6400万円 240万ドル
2009年 3億5750万円 325万ドル
2010年 5億3350万円 485万ドル
2011年 1億5000万円
2012年 1億5000万円
2013年 1500万円
2014年 2200万円
2015年 不明
2016年 不明
合計 30億6770万円(出来高含まず)

 

 

なんと、生涯年収は合計30億6770万円となりました。

 

さすがメジャー契約を経た選手はまさに桁違いですね…。

 

20年ほどの期間ですから、年間1億5000万円以上を余裕で稼ぎ出している計算になります。

 

 

決して恵まれた体格ではなかった岩村明憲選手

 

身長は175cmと、野球選手としては決して恵まれた体格だったとは言えなかった岩村明憲選手。

 

しかし、その成績は球界史に残るものでした。

 

 

なりたいではなく、なると決めて野球を始めた」

 

岩村明憲選手のインタビューでのやり取りに、子供時代の話として、こんな言葉があったことがとても印象強く残っています。

 

振り返れば、幼少期からのこの覚悟と決意が、岩村明憲選手の人生を決定づけたのかもしれません。

 

 

選手としての晩年は怪我のためもあり、本人も思ったような結果ではなかったのかもしれませんが、それでも日本でアメリカでWBCで大活躍をしたことは、野球ファンの記憶にも記録にもしっかり残りました。

 

 

今後の活動については、会見の中で「これからも野球界に携わっていきたい。経験したことを後輩たちに伝えないといけないという覚悟で精進していきたい」と語っています。

 

今後は福島ホープスでの監督経験なども活かして球界でのコートや監督に、そして解説などでも、球界を楽しませてくれることを期待したいですね!

 


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